明日笑うために今日すること

債務整理のあれこれとギャンブル依存症からの脱却を綴るブログです。

ギャンブル依存症になるまで〜初期〜

高校2年でパチスロデビューした私。

あっという間にパチンコパチスロの虜になっていきます。

学校、バイト、バンド、パチスロ、恋愛とやりたいことだらけで家にいる時間はほぼなかったと思います。その中でもパチスロに1番熱を注いでいました。

負けてお金がなくなると昼飯を我慢したりもしていました。バイト代で携帯料金を払い終わったら全てパチスロに使えるという感覚だったような気がします。次第に友人達も続々とパチンコを始め、誰かとパチンコ屋に行くことが日常になっていました。

そうしていくうちにパチンコ仲間の間でお金の貸し借りが始まります。数人で行けば誰か1人は調子が良いもので、調子の悪い友人にお金又はメダルを貸すという流れが出来ていきました。自分も親友にマックスで10万近く借りていたことがあります。そのお金はパチスロで勝ったお金で全額返しましたし、私も何万と貸していました。

高校生のうちから借金に対する恐怖心がなくなってしまったことが後々地獄を見ることに繋がりました。

 

 

当時(2000年ごろ)はパチンコ業界も規制が緩く爆裂機が主流の時代でした。イベントも毎週あり、私が住む田舎町でも開店数時間前に並ばなければ台が取れないほど人気がありました。

その反面自殺も多かった。自殺があるとその店は少しの間休業します。そして何もなかったかのようにリニューアルオープンという謳い文句でまた客を呼びます。

今のパチンコ店のようなクリーンで明るい雰囲気などはなく店員も客も殺気に満ちた顔をしていました。でもそんなパチンコ店に行くことが何よりも楽しくて、友人とワイワイガヤガヤしてる時間が最高だと思っていました。

この時点でパチンコを辞めれていたら楽しい思い出で済んだのでしょう。

 

高校を卒業して社会人になり状況は一変します。

 

続く